サラリーマンを辞めたけれど、また戻った人のブログです(少し子育ての事も)

サラリーマンを辞めて会社に属さず生きていく事に決めたけれど、また戻った人のブログです。2018年に娘が産まれたので、子育ての事も書きます。

たいこ君(?)

 

いきなり「このタイトルは何なんだ?」と思われたかもしれませんが、ご一読頂けると幸いです。

 

子供の頃、私は工事現場とか「はたらく車」を見るのが好きでした。

学校が終わったら近くの工事現場やクレーン車の車庫に行って、工事現場とか「はたらく車」を眺めるのです。

眺めていて、現場の人達が気難しい人たちだと、

「何見てるんだ!来るんじゃない!あっちに行け!!!」

と野良猫を追い払うように追い返されます。

でも優しい方々も結構いました。

 

クレーン車を眺めていたら、

「好きなのか?じゃあ近くで見てみるか?」

と呼んでくれて、危険の無いレベルでクレーン車を見せてくれて、その後で、

「乗ってみるか?」

と言われ、助手席に座って1時間くらいドライブした事もありました。

それを家に帰って、

「楽しい事があったんだ!」

と話したら、親からは

「何でそんな危ない事をしてるんだ!」

「事故だけじゃなくて、そうやって言われて誘拐される事もあるんだぞ!」

と激怒された事もありましたね。

 

 

で、本題。

小学校3年生の頃でしょうか、自宅の周辺では大規模な下水道の工事が行われていて、家の前がその工事の基地になっていました。

大きなポンプや背の高い掘削機、行き交うダンプカーに、少年だった私は目を奪われるのでした。

 

ある日、近所のN君と一緒に、その基地のような場所を眺めていたら、そこから出てきた人に、

「楽しいか?」

尋ねられたので、頷くと中に入れてくれたのです。

招かれた場所はプレハブの事務所のような場所でした。

机があって椅子に座ると、お菓子とお茶を出してくれました。

 

話をしていて、本当にそういう名前かどうかわからないのですが、僕らはその人を

「たいこ君」

と呼ぶようになりました。

「たいこ君」は30歳。

岩手から新婚の奥さんと生まれたばかりの子供を置いて出稼ぎで来ていて、その工事現場では現場監督補佐のような役割だとの事です。

東北訛りが僕ら子供にとっては新鮮でした。

「たいこ君」からは、奥さんや子供の話を聞いたり、写真を見せてくれたり、工事現場の事を色々話してくれました。

別れ際、「たいこ君」は、

「またいつでもおいで!」と言ってくれました。

 

僕らは、その言葉に甘えました(笑)。

毎日のように、その工事現場の基地の前に行って、

「たーいーこ君、遊ぼーー!」

と、まるで友達に呼び掛けるように呼びに行きました。

 

「たいこ君」は嫌な顔をせず、いつも僕らに接してくれました。

工事の事を教えてくれたり、事務所でお茶を飲みながら話をしたり、たまに近くの空き地でキャッチボールをしたり。

もちろん「たいこ君」も仕事があります。

そんな時は

「今日はごめんな。仕事が一杯あるんだ。」

と言ってお菓子をくれました。

 

その工事は1年半くらい行われていましたが、「たいこ君」は1年くらいでその工事現場から去る事になりました。

「たいこ君」がいなくなって、僕らの心に穴がぽっかり開いた気分になりました。

残念ながら次に来た人とは仲良くなりませんでした。。。

 

ここに書いた事、今になって振り返ると、コンプライアンス的に問題ばかりですね。

だから今では味わえず考えられないような、心が通ったコミュニケーションがありました。

 

もう30年近くも前の話、あの優しい「たいこ君」(すいません、「たいこさん」ですね)は、どこで何をしているんだろう?と気になってしまいました。

 

先日、大きな工事現場のそばを通る事があり、ふと思い出して気になった次第です。