サラリーマンを辞めたけれど、また戻った人のブログです(少し子育ての事も)

サラリーマンを辞めて会社に属さず生きていく事に決めたけれど、また戻った人のブログです。2018年に娘が産まれたので、子育ての事も書きます。

娘が産まれた日

前の記事では、妊娠から出産までの流れを書きましたが、今回は出産当日の事を書きたいと思います。

妊娠から出産までの流れは、高齢出産にもかかわらず、大きな問題は無かったのですが、出産当日はドキドキな展開でした。

その日の様子を私なりに文章にしてみたいと思います。

 

出産5日前

この時36週目です。

前の週末に妻の実家に行った時は、体調は特に変わらずという感じだったのですが、「おしるしが出てるみたい」という連絡が妻から来ました。

まだ予定日までは3週間近くあるのに、そんなに早いのでしょうか、と思いながら、妻には安静にしてもらいつつ、私も父親になる心の準備を始める事にします。

 

出産前日

またおりものが出ていると妻から連絡がありました。

妻が病院に連絡したところ、「今のところはまだ大丈夫。もう少し様子を見て下さい。」と連絡があったとの事で安心しました。

 

出産当日

今日から正期産なので、妊娠週数的に今日から産まれても大丈夫なのですが・・・。

今日の私の予定は、午前中は車を点検に出して、夕方から妻の妊婦検診があるので、点検が終わり次第、妻の実家に2時間掛けて向かう事にします。

朝、起きると妻から連絡。

おりものが大量に出たので、病院に電話したところ、「午後から検診の予定ですが、その前に一度診ましょう」という事になったので、朝から病院に向かう、との事でした。

お義父さんの車で一旦行ってもらって、私は状況を共有してもらいつつ、今日は予定通り過ごす事にします。

9時過ぎ

妻から連絡が来ました。

通常の診察時間の前に急遽診てもらったところ、破水している事がわかりました。

その場で「今から入院」という事になったそうです。

私も元々の予定を変更し、車の点検はキャンセルし、急遽病院に向かう事にします。

そんな時に限って病院に向かう道路は渋滞していて、やりきれない気持ちになります。

11時過ぎ

病院に到着。

病室にはお義母さんが一緒にいてくれたみたいで、病室内は一人につき親族が一人までと決まっていて、お義母さんと私が入れ替わる形で、私が病室に向かいます。

妻は「あーあ、入院になっちゃった。てへっ。」という雰囲気で私を迎えてました。

時々陣痛が来るようですが、まだ堪えられるレベルのようです。

12時

昼食の時間です。今日はカレーです。

妻は「美味しい」と食べるのですが、そんなに量を食べれないようで半分残しました。

私も朝のドタバタでお腹が空いていて、病院からは「旦那さん向けにはカップラーメンを用意しています」と言われていましたが、妻が残したカレーを食べる事にします。

これがすごく美味しいのです!

産婦人科の食事は最高ですね。

13時過ぎ

食事が片付けられ、陣痛が周期的になってきて、妻の顔が歪む事が多くなってきました。

私も9月で受けた両親学級で習った腰のマッサージを陣痛の度にしました。

15時

おやつの時間。

何と某有名ホテルのチーズケーキが出てきました。羨まし過ぎます。

この病院、本当に食事のクオリティが高いです。

陣痛で痛みがある中で、おやつは別腹みたいでペロッと平らげました。

この時間、15分周期で陣痛が来ていて、私はひたすらマッサージを続けます。

16時過ぎ

助産師さんから「結構お産が進んでいるので、分娩室に移りましょう」という提案がありました。

分娩室のイメージは何か機械がぎっしり置かれていて冷たいイメージを持っていましたが、壁が木目調だったり照明が暖かい感じだったり、音楽も流れていて、癒される感じです。

ここなら長時間居ても安心です。

ここで15分周期の陣痛としばらく戦う事になります。

この時点では、今日は深夜、もしくは明け方まで覚悟が必要、と感じました。

17時過ぎ

妻は15分周期で来る陣痛と闘いながら私はマッサージを続けています。

助産師さんは10分毎に様子を見に来てくれます。

分娩室内にはモニターがあって、赤ちゃんの心拍数が出ています。

陣痛が来る毎に赤ちゃんの心拍数が下がるのですが、「こういうものなのかあ」と素人目で見ていたところ、分娩室の外が慌ただしい雰囲気になりました。

今まで1人で来ていた助産師さんも3人で入ってきました。

その5分後くらいに医師の先生も入ってきました。

赤ちゃんの心拍数が下がる事は、宜しくない事のようで・・・。

17時半過ぎ

先程から「一旦様子を見よう」という事になったのですが、状況に変化はありません。

先生も2人入ってきて更に慌ただしい雰囲気になり、妻に酸素マスクが付けられました。

先生から告げられたのは、「心拍数が下がるという事は赤ちゃんの呼吸が苦しい状態です。一刻も早く取り出してあげた方がいいので、緊急で帝王切開に入りたいと思います。」

私は急な展開に驚いてしまいました。

しかし妻は「はい、お願いします」と即答しました。

急な展開なので、その場で同意書を読んでサインして、諸々の手続きをしました。

帝王切開となると私は立ち会う事が出来ないので、分娩室を出て、ガラスが張られた新生児室の前に移動して待つ事にします。

今日は先程の想定とは違って、長丁場になるだろうなと覚悟します。

午前中に病院に来てくれたお義母さんにも状況を連絡しておきます。

18時半過ぎ

想定外の出来事で、もし万が一の事があったら、と思い不安になりながらも待つしかありません。21時くらいまで待つんだろうなあと。

その時はあまり意識していなかったのですが、ガラスの前に赤ちゃんが運ばれてきました。

その5分後くらいに「こちらに先程からいる赤ちゃんが、生まれた赤ちゃんです」と看護師さんから告げられました。

とても待つ覚悟をしていたので、あっけない状況に驚いたのですが、すぐに我が子がここにいるという嬉しさに変わりました。

周りを気にせず写真を撮り、動画を撮りました。

18時29分、2928gで我が子が誕生しました。

19時半頃

私は無我夢中で写真を撮りながらガラス越しに我が子を見ていたと思います。

一旦、ガラスの前から移される事になったようで、私は下がって椅子に座って待つ事にします。

しばらくすると、妻の処置が終わったようで、妻がいる病室に案内されました。

ベッドには、妻と産まれたばかりの我が子がいました。

妻は、あまりに展開が早過ぎて、手術の時の事は殆ど覚えていないそうです。

ここで家族が3人になった事を改めて実感しました。

看護師さんに写真撮影をお願いし、産まれたばかりの我が子の写真を撮ってもらいました。

ここでお義母さんから電話が入り、やきもきしてお義父さんと車で病院の前に来てしまったそうです。

せっかく来てもらったので、本来は父親だけしか許されていないそうですが、お願いして特別に妻の両親にも病室に入ってもらい我が子に対面してもらいました。

お義母さんは私が電話した時は驚いてしまったようでしたが、妻と赤ちゃんを見た時にとても安心したようです。

20時半

あまり長居をしても妻と我が子に負担が掛かるので、妻の両親と一緒に病院を出ました。

車に乗った瞬間、昼食で妻から貰ったカレー以降、何も口にしていない事を思い出しました。

空腹感に苛まれ、道中の高速道路のパーキングエリアでラーメンを食べて、自宅に着いたのが23時前でした。

 

 

もっと時間が掛かって産まれてくるものだと思っていたので、結果的に時間が掛かっていませんが、短い時間の間で、ぎゅっと濃縮された時間だったなと、あとで振り返ると思いました。

 

赤ちゃんの心拍数が下がった原因は、赤ちゃんの出口が16時以降に急に開かなくなった事と、赤ちゃんの足に臍帯が巻き付いてしまっていて、うまく酸素が供給されなくなってしまったからだとの事でした。

早い判断があったからこそ、我が子は無事に産まれてくれました。

本当に良かったです。

 

私が一番心を動かされたのは、医師から「帝王切開に入ります」と告げられた時に、妻が「はい、お願いします」と冷静に即答した時です。

正直、夫の立場でもたじろいでしまいましたし、もし私が妻の立場であってもパニックになった可能性が高いです。

あとで妻に聞くと、「赤ちゃんの事しか考えていなかったから、そう答えるしかなかった」と言っていました。

そうやって答えていなければ、今、娘はここにいなかったかもしれないと思うと、本当に妻に感謝してもしきれません。

 

この日の事は、一生忘れられない、と思っています。