サラリーマンを辞めたけれど、また戻った人のブログです(少し子育ての事も)

サラリーマンを辞めて会社に属さず生きていく事に決めたけれど、また戻った人のブログです。2018年に娘が産まれたので、子育ての事も書きます。

予習は必要だという話

 

恥ずかしながら、この歳になって気付いた話です。

 

学校に通っている頃や、大人になっても講義を受ける時に「予習」ってしていますでしょうか。

今更ですが、「本当に必要なんだな」と気付いてしまいました。

 

学校に行っている時って、こういう気分で講義を聞いていたと思います。

  • 授業に出ないと、怒られるし、卒業出来ないから出ておこう。(・・・後ろ向きな理由)
  • 話を聞く事で得られる事が沢山あるだろうな。(・・・一応、前向きな理由。)

前者は置いておいて、後者だとしても、いきなり「初めての話し」を聞いても頭に入らないんですよね。

その場では「沢山得たものがあった。充実したなあ!」と思っても、それって雰囲気に飲まれているだけなんです。

数日後には頭の中から消えている確率が90%です。

 

私は覚えが悪いので、学生の時に授業を受けていても、全く頭に入らなかったのです。

しかし振り返ると、事前に本を読むと(読んでも全くわからずチンプンカンプンな時もありましたが・・・)、頭の中にスッと入った気がしました。

事前に読んでおけば、

  • 興味があるところ、面白そうなところ
  • わからなかったところ

が整理されるんです。

 

月並みな内容になりましたが、何で学生の頃に、こういう事に気付かなかったんでしょう?

気付いていれば、優秀な大学に行けてたかもしれないのに・・・。

 

何でこんな話を書いたかと言うと、最近、以前受けた事がある講義や講演を再び聴く機会が何度かありました。

その時に感じたのは、全くインプットの質が違うという事です。

一度聴いた講演、2度目に聴いても同じだろうと思っていましたが、深く理解出来て、日々の生活にも影響が出てきました。

 

そして、今日はこんな記事を読みました。


資本主義はどのように生まれたのか?3分で読む「競争社会」誕生の歴史 第2回 産業革命から自由経済の誕生まで|本当はよくわかっていない人の2時間で読む教養入門 やりなおす経済史|ダイヤモンド・オンライン

 

高校生の頃、世界史の授業を受けていても全く頭に入ってこなかったのですが、これを読んで久々に世界史というものに触れたら、スルスルと頭の中に入ってきました。

 

要は、「予習が必要」という事だけでなく、インプットは反復が必要ですね、という話でした。

 

車で大きなショッピングモールに行くと・・・

 

車で大きなショッピングモールに行くと、困る事があります。

 

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買い物して駐車場に戻ってくると、車の場所がわからなくなるんです。

まず、行けば行ったで既に沢山の車が来ているので、好きな場所には止められません。

駐車場に止める時に、「この辺だ!」と認識するのですが、戻ってくるとわからなくなるんですよね。

「何階だっけ?」

「どのエリアだっけ?」

という感じで、何とか車に近い場所に来ても、周りの景色が似過ぎているので、なかなか車に辿り着けないんです。

先日は、友人を連れて10分くらい歩き回ってしまいました。

 

いつも何を目印にしたらいいんだろうと悩みます。

隣の車の車種を覚えていたところで、すぐに出て行ってしまう可能性がありますからね。

 

こういう悩みを持っている人は他にもいると思うんですけどね。

で、1時間探してもみつからないみたいな事が起こったら、お店の人は助けてくれるんでしょうか。

何か工夫があったりするんでしょうか。

 

最近、長めのエントリーが続いたので、今日は短めで失礼します。

 

車を運転する時に心掛けている事

 

今週は、痛ましい交通事故のニュースが相次いだ気がします。

(あくまでも自分の感覚でですが。)

 

改めて車を運転する時に交通安全のために心掛けている事を考えてみました。

基本的な事ばかりなので、「なるほど!」と思う事は少ないかもしれませんが。

 

視野を広く取る事

車を運転する時は、ある動作をするとき以外は、視野を広く取る事が重要です。

ある1点に集中してはいけません。

まっすぐ走っていても、20m先で何か起こるわけでは無く、左右や100m先で予期せぬ事が起こるかもしれません。

それによって早く判断が出来れば、事故を防ぐ事が出来る可能性があるのです。

 

危なかったら「止まる」事

「危ない!」と思ったら、後続の車に気を付けつつ「止まる」事です。

神奈川中央交通バスの運転席にも「安全鉄則 先ず止まれ」と書いてありますね。


神奈中商事かなちゅうこだわり.com|神奈川中央交通バス|クリアファイル

 

時によってハンドル操作で危険を回避する事もありますが、優先順位としては車を止める事の方が優先度が高いと思っています。

先にも書いた通り、後続の車には気を付ける必要がありますが、車が止まっている状態では、少なくとも自分が事故を起こす事は無いです。

車じゃないですが、街を歩いていると、自転車(特にママチャリ)が何らか予期せぬ事をスピードを落とさずに避けて私が歩いている目の前に飛び出してくる事がよくあります。

普段から「何でママチャリって止まろうとしないんだろう?」と疑問になりますが・・・。

 

法令を順守する事

当たり前の事ですね。

踏切や車が少ない場所での一時停止を守る事、車線変更禁止を守る事、シートベルトを締める事、「ここは大丈夫だろう!」という場所でもちゃんと法令を守る事です。

(たまに納得いかない場所とかもあったりしますけどね。。。)

「ここは大丈夫だろう!」という気の緩みが事故を誘発すると思うのです。

車ではなく歩いている時も同様です。

歩行者だと横断禁止の場所を横断したり信号を守らなかったりという事になりますが、いくら運転者より歩行者が守られると言っても、歩行者が掛けた悪質な迷惑が運転者に被せられるのは納得出来ない事もあると思います。

お互い、守るべきものを守って気分良くいたいものです。

 

基本的な運転マナーを守る事

他の車が走っている流れに乗る事、速度が遅い中で追い越し車線を占有しない事、ウインカーを早めに出す、車を停車するにも他の車が迷惑になるような場所で止めない事など。

他の車の迷惑にならないかと気を遣う事が必要かと思います。

 

周りのプレッシャーを気にしない事

これが意外と自分が出来ていない事ですが、これから気を付けたいところです。

よくあるのが、こちらが上で書いた事を守っているにもかかわらず、後ろから煽られたりする時です。

そんな時は、ちょっと気が立ってしまう事があるのですが、気にしないのが一番です。

10年以上運転していると、なぜか因縁をつけられたりとか、いきなり吸っていた煙草の吸い殻を投げつけられたりという事もあります。

世の中には色んな人がいるものです。

 

「安全運転」を誓う事

若干精神論ですが・・・。

車に乗り込んだ時に「今日は安全運転をします!」と誓うのです。

これをやっておくと、運転中も気を落ちつけたり、平常心でいられたりするのです。

15年以上前、私は輸送業の仕事を少しやっていた事があるのですが、そこでは出発点呼の時にドライバーと運行管理責任者が「握手」するんです。

それも安全運転への誓いに近いものがあるのかなと思い出したりしました。

 

車の整備を怠らない事、洗車をする事

「車の整備を怠らない事」は走行中の故障を防ぐためだという事は言うまでもないですが、「洗車をする事」と合わせると、もう1つ効用があります。

ちゃんとした車だったら、「車に無理をさせないようにしよう」とか「乱暴に扱わないようにしよう」という気持ちになるのです。

道路を走っていても周りのドライバーからも「この車のドライバーはちゃんとしているだろう」と思われると思います。

逆に、あまりに汚れてたり壊れた車だと「この車、大丈夫だろうか。」と思いますしね。

 

 

私が思うに、車の運転は「人生の縮図」だと思うのです。

「目的地にどうやって行くか」を考えたり、「あの難しい車庫にどうやって入れようか」を考えたり。

それって思考のプロセスだったり論理的思考力に通じるものがあるんじゃないかと思ったりします。

そして、「運転をすると人が変わる」という人がいますが、もしかするとそれがその人の本性なのかもしません。

 

私は運転するようになって20年近くになるのですが、幸いな事に今まで自分から起こした事故は一度もありません。(違反は残念ながら1度だけあるのですが。)

しかし、いくら自分が気を付けていても、周りの車の運転が安全じゃなければ、事故が起こる可能性があります。

また、いくら気を付けているつもりでも、人間であればミスを起こす事もありますし、状況によっては事故が起きざる得ない事もあるかもしれません。

 

気を付ける事で事故が起こる確率が下がればいいですし、もし共感して下さる方がいれば幸いです。